霜まよふそらにしをれし雁が音のかへるつばさに春雨ぞ降る

私が史上最高の芸術家と崇拝する、藤原定家の歌である。

「霜まよふ」とあるが、実は春の歌である。

「まよふ」の解釈も色々あるようだが、霜が雁の翼を痛めつけている様が、美しいことばで修辞されている。

秋には秋で霜に悩まされ、春には春で雨に苦しむ。

実際の、渡り鳥である雁の悲しい定めとか、あまり世俗的に捉えない方がいい。

というか、現実は無視するべきなのだ。

これは、形而上の文学、言葉で遊ぶ芸術なのである。

抽象性こそが、心を打つ。

時代は鎌倉、武家政権が現実のものとなり、貴族社会は崩壊に向かっている。

そういう、紅旗征戎をわがものあらずと言いのけて、天上の言語芸術に耽っている。

この美しさは頽廃であり、生きるためにはまったく無用の、無理やりひねり出された詩的空間。

滅びるものは、滅びと呼べるほどに美しくあらねばならないのである。

さむしろやまつよの秋の風ふけて月をかたしくうぢのはし姫

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