藤原定家(ふぢはらのさだいへ) ルキノ・ヴィスコンティ 歴史と美学
藤原定家は、その美しさの追求において、イタリア人の映画監督であるルキノ・ヴィスコンティとならぶわが愛着の深い芸術家である。
ともに貴族。そして時代の転換期にうごめき、滅びの美学とも言える、様式美を構築している。
藤原定家は、その美しさの追求において、イタリア人の映画監督であるルキノ・ヴィスコンティとならぶわが愛着の深い芸術家である。
ともに貴族。そして時代の転換期にうごめき、滅びの美学とも言える、様式美を構築している。
藤原定家は、アントン・ブルックナーとならぶ私が愛好する芸術家である。
定家の言葉至上主義と現実無視は、ブルックナーの絶対音楽追求による巨大交響曲の作曲と通じるものがある(と私は思う)。
藤原定家は、日本人が誇るべき偉大な芸術家である。
彼が残した、つまり彼の筆になる日本文学の古典も数多い。
貴族であり、すでに政権は鎌倉武士に移行していたが、彼はそれなりの官位を昇りながら、芸術のドンとして生涯を終えた。
藤原定家は、彼の和歌によって、言葉の美と内容の抽象性で、いつも魂が昇華する。
この定家の美空間を教示してくれたのが塚本邦雄である。
塚本の歌集は、非常に高価格だった。
藤原定家は、新古今和歌集の春歌上に四首載っている。
春の夜の夢の浮き橋とだえして峰に別るる横雲の空
大空は梅のにほひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月
梅の花にほひをうつす袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ
霜まよふ空にしをれしかりがねの帰るつばさに春雨ぞ降る
どれも名歌である。新古今全体では四十六首。
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